名古屋市出身。 1957年生まれ。
両親が着物好きだったこともあり、3歳から日本舞踊を習い、着物と近しい生活を送る。着物を着て踊ると父が喜ぶことが嬉しくて踊っていました。2年に一度の発表会がとても楽しみで、中学3年生のときに日本舞踊で名前をもらいました。正月には父も着物を着て、母と姉、私の4人で親戚周りをし、その時に履く草履を父が毎年年末に母と姉と私にプレゼントしてくれていました。家族全員が着物をハレの日の衣装として楽しんでいたことが、私と着物との繋がり、幼い頃から着物は家族との絆になっていました。
25歳で結婚し東京に来るまで日本舞踊を続け、嫁いだ先(今住んでいる千代田区神田駿河台)でも、義理の母がお店の空き時間に日本舞踊の先生をお呼びして稽古をしていたので、引き続き日本舞踊を習うことができました。嫁ぎ先は、当時1~2階でそば店を営んでおり店の手伝いに追われていましたが、娘が生まれ母と娘で舞台に立ちたいという思いがあり、娘も一緒に稽古をしました。着物が好きな娘に育ったので、幼い頃の習慣は大切だと感じています。
日本舞踊を習わなくなり着物との縁が切れましたが、実家の母が着物を作って送り続けてくれ、袖を通せないことを申し訳なく思う日々でした。母から送られた着物を着たい思いがあり、子育てを終えた40歳頃、装道の教室で店の休業日である日曜日に2年をかけて学びました。
母が亡くなり、母からの遺言が「もっと着物きてね」だったこともあり、着物をタンスから出したところ、カビ生えており衝撃を受けました。呉服店にメンテナンスをお願いするとかなり高額で、着物は仕舞っておくのではなく着てこそ活きるもの、着て出かけるものだということを改めて感じました。そして、私以外にも着物を眠らせてしまっている方に、着物を着る機会を作り着付けてあげたいと思うようになり始めます。
お店を閉めた50歳頃、週2回のペースで本格的に着物を学び、着付け師として仕事を始めます。幼い頃から、着物と自分の関係を考えたとき、着物に関わる仕事こそ自分の天職だと確信しました。茶道始め、着物の機会を増やしたことで娘たちも着物を残してほしい、着物着たいと言ってくれるようになり、家族の新たな繋がりが生まれました。着物は着るモノというだけではなく、家族を繋ぎ代々繋いでいくもの。親から受け継いだ着物を今度は自分が娘たちに譲り渡すこと、着物はまさに母娘が繋げるアイテムだと思っています。
着付け師となって着付けをする立場になり、凛とした着物姿で自信を持って生きていくことも伝えています。歌舞伎や観劇などには着物を着る、お子さんの入学式や卒業式、同窓会などで着物を着る習慣を作りたいです。自分で着物を着られるようになれば、週に1回は着るくらいの感覚。そのくらい身近なものに感じてほしいと思っています。洋服では味わうことができないドキドキやワクワク、洋服と同じようにその人自身のコーディネートができることを伝えていきたいです。同じ着物でも、帯や帯留めを変えるだけで違う印象になり、その方の感覚が生きます。着物は特別なものではなく、オシャレのたしなみだと感じてもらえたら嬉しいです。
63歳で起業することを決めたのは、自分のように着物を仕舞いこんでしまっている方々の役に立ちたい、家族の絆を取り戻してもらいたいという思いです。人生100年時代、まだまだ時間があると思っています。私自身が着物に支えられたことを恩返ししたいです。2019年には、車いすの方への着付け「福祉車いす着付師資格講座」を受講。誰もが平等に着物を楽しむ時代になってほしいです。
また、礼法(一般的なビジネスマナー、お茶の入れ方から出し方、冠婚葬祭時のマナーなど)についても学び、講師の資格を取得しました。装道や茶道の世界に触れるなかで、地方によってやり方が違うことを知り、何が正解なのか?より丁寧で、失礼がないやり方とはなにか?など、日本に伝統的に伝わる作法に興味を持ち始めたことがきっかけです。機会があれば今後、そのようなこともお伝えしていけたらと思います。
<保有資格>
文部科学省・経済産業省認可
社団法人 全日本きものコンサルタント協会
1級きものコンサルタント
内閣府認定
公益社団法人 全日本きものコンサルタント協会
装道礼法講師 6級
表千家講師
恵貴(しげき)きもの教室::
https://www.shigeki-kimono.com/